名古屋地方裁判所 昭和57年(ワ)2082号 判決 1990年11月30日
原告
甲野一郎
右訴訟代理人弁護士
今井安榮
同
伊神喜弘
被告
愛知県
右代表者知事
鈴木礼治
右訴訟代理人弁護士
棚橋隆
同
大道寺徹也
同
立岡亘
右指定代理人
本荘久晃
外七名
被告
春日井市
右代表者市長
鈴木義男
右訴訟代理人弁護士
山路正雄
同
異相武憲
同
高柳元
右指定代理人
大野昱郎
外六名
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、原告に対し、各自金一〇〇万円及びこれに対する昭和五七年七月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
一 請求の原因
1 原告は、昭和四七年三月高崎市立経済大学を卒業したのち、昭和四八年三月に高等学校教諭二級普通免許状(社会科)及び中学校教諭一級普通免許状(社会科)を取得し、同年四月愛知県教育委員会により愛知県春日井市公立学校教員に任命された。
原告は、右任命に先立ち小学校助教諭臨時免許状をも付与され、同年一日付で同市立T中学校教諭に兼ねて同市立S小学校助教諭に補され、昭和四八年四月から昭和五六年三月まで右S小学校に勤務し、その間、四年生の学級を三年間、二年生の学級を二年間、一、三、五年生の学級を各一年づつ担任した。
原告は、昭和五六年四月一日同市立A中学校教諭、兼ねて同市立K小学校助教諭に補され、右K小学校に勤務して三年生の学級を担任するようになった。
2 原告は、昭和五七年度にも学級担任を受け持つことを希望していたところ、K小学校校長乙川二郎(以下「乙川校長」という。)は昭和五七年四月一日原告に対し「きみは、今年は担任なしだ。図工と書写の専科をやってもらう。」と通告した。
右通告にかかるK小学校の昭和五七年度の校内人事における原告の処遇(以下これを「本件措置」または「本件担任外し」という。」は、後に詳述するように、原告に学級担任を受け持たせず、学年所属もなく、専門外の教科の専科教員として、前年度より少い授業時間を担当させるというものであった。
本件担任外しは、原告が教師として有する教育権ないし正当に保護されるべき法的利益を故意に侵害するものとして違法である。
以下、この点について分説する。
3 本件担任外しに至るまでの原告の教育活動等
(一) 原告は、昭和四八年度にS小学校四年三組を担任したが、学級の多くの児童が、算数の授業を理解できないことから、愛知県下で広く採用されている株式会社新興出版社啓林館(以下「啓林館」という。)発行の算数の教科書につき、その暗算中心の編集方針に疑問をもつようになった。そのころ、遠山啓らが提唱した水道方式と呼ばれる筆算中心の算数指導体系を知り、昭和四九年度に四年二組を担任したときから、水道方式の教科書である「わかるさんすう」(麦書房発行)をもとに、プリントを作成して授業を行い、啓林館の教科書は練習問題として使うようになった。また、同年九月からは、S小学校の同僚教師と共にS算数研究会を結成し、算数の指導方法などの研究を続けた。
(二) また、原告は、昭和四九年ころから、五段階相対評価につき、児童の努力や成長を評価するものとはいえないのではないかと疑問を抱くようになった。同年六月S小学校内に設置された評価検討委員会に、委員の一人として参加し、絶対評価の通知表作成に向けて取り組み、昭和五一年度には、絶対評価通知表の試案を職員会議に提案した。右試案はS小学校全体の成績評価方式とはならなかったが、原告は、右委員会での活動を踏まえ、(1)昭和五〇年度には、体育・図工・音楽の三教科については通知表にマイナス符号をつけないようにする、(2)昭和五二年度には、二段階絶対評価の通知表を作成する、(3)昭和五五年度には、指導要録の改訂により通知表の学習状況欄の評価方式が個人内評価方法から到達度評価方法に変更されたことに伴い、算数の「知識・理解」欄には、学級の児童のほとんど全員に十分到達を表すプラス符号を付ける、などの評価を行った。
(三) 原告は、昭和五六年四月にK小学校に赴任し、三年一組を担任することになった。算数に関しては、前任校においてしたと同様に、啓林館発行の教科書の単元を入れ換えたうえ、水道方式によりプリントを使って授業を進め、教科書は練習問題として使用するにとどめたが、年間を通じてみれば三年生の教科書の内容はすべて指導した。プリント中心に算数の授業を進めることについては、昭和五六年四月一七日に行われた学級父母懇談会において、自己の担任する学級の児童の保護者に説明して理解を求めているし、その後も、原告が保護者宛に発行する学級通信を通じて、授業の様子などを伝えている。
(四)(1) 原告は、昭和五六年六月三〇日の職員会議において、深津高子教務主任から五段階相対評価の通知表原案が提出された際、絶対評価に改善すべき旨の反対意見を述べたが容れられず、原案が多数決で可決されたため、やむをえずこれに従った。
(2) ただし、通知表の「学習状況」欄は三段階到達度評価であり、十分到達の場合はプラス符号を、到達不十分の場合はマイナス符号を記入し、概ね到達の場合は空白にしておく取扱いになっていたので、原告は、昭和五六年度一学期の通知表作成にあたり、算数の「知識・理解」欄につき学級の児童のほぼ全員に十分到達の評価をし、プラス符号を記入した。前記のとおり原告は単元を入れ替えるなどの工夫をしてわかるまで繰り返し指導し、その結果、ほぼ全員が三年を担任する原告を含む三人の教諭で話し合って作成した到達度基準に達していたため、右のように評価したものである。ところが、同年七月一日乙川校長は原告に対し、同学年の他学級に比べてプラス符号が多すぎる、教え直してできた場合には空白にしておくということが、前年度の職員会議で決まっているなどと言って、原告の成績評価を認めようとしなかった。しかし、原告も自己の意見を変えなかったところ、同月一八日この問題に関し急拠緊急職員会議が開かれて、他の教員から原告に批判的な発言がなされたが、結局、同校長から、原告が週案を提出しないので不安は残るが、児童の努力を認め原告の担任する学級の通知表に認印を押す旨の発言があり、一応の落着をみた。
(3) 同年度二学期の成績評価の際には、原告の学級には特別に指導を要する児童がいなかったため、「学校生活のようす」という絶対評価欄に一人もマイナス符号を付けなかったところ、同年一二月の職員会議において、原告は他の教員から非難を浴びた。これは、右の欄が絶対評価であるにもかかわらず、他の学級とはほぼ同じ割合のマイナス符号を付け、足並みを揃えるべきだという考え方が背景にあったものと考えられる。
(五) 原告は、昭和四八年四月に春日井市教員組合に加入し、S小学校分校においては、六年間代議員として活動していたが、K小学校に赴任したのちも教育労働者として以下のような活動に取り組んだ。
(1) K小学校では、年次有給休暇(以下「年休」という。)届出用紙に理由を記載するようになっていた。原告は、昭和五六年四月下旬に行われたK小学校分会職場集会において、校長に対し右理由欄廃止の申し入れをするよう主張し、原告の右発言後間もなく、年休届出用紙の理由欄は削除された。
(2) 同年五月に行われた分会職場集会において、原告は、昭和四七年に愛知県校長会と愛知県教員組合との間で交わされた確認事項の一項目である「行事や短縮授業後はできるだけ自宅研修とする」を取り上げ、研修を確保できるよう分会として取り組むべきではないかと発言した。また、原告自身、同年七月の短縮授業中に、乙川校長と交渉し自宅研修を取得した。
(3) 原告は、昭和五七年三月の職員会議において、教員の研修権獲得のため、県費旅費、現職教育費等の公費の経理公開をするよう意見を述べた。
(4) 原告が年休を取得したことについて、深津教務主任が原告の担任する学級において、児童の前で「授業があるのにねえ」などと非難したことから、原告は、年休取得に対する不当な妨害として、地方公務員法四六条に基づき、昭和五七年三月二日愛知県人事委員会に対し、乙川校長への指導等の措置を執るよう要求した。
4 本件担任外しがもたらしたもの
(一) 異例な担任人事
原告は教師になって以来初めて学級担任を外されたのであるが、原告が担任を外されたのと入れ替えに、深津教務主任と樋口校務主任が担任を持つこととなった。教務主任や校務主任が学級担任をもつことは、春日井市では異例なことであり、かつ右両名が担任を持ったのはこの年度だけである。
(二) 学年所属外し
春日井市では専科教師もいずれかの学年に所属し、学校行事の立案・実施に参加するのが通例である。原告が学年の所属までも外されたということは極めて異例のことであり、これは原告を他の教師から隔離する意図をもってなされたものである。その結果、原告は学校行事、学年行事はもちろん、職員会議にさえも十分参加できない結果になった。
(三) 週授業時間数の削減
学級担任教師の週授業時間数は普通二六時間前後であるが、原告はこれも一八時間と大幅に減らされた。これは一部休職に近い取扱いであり、子供への接触を極力抑えられた形である。
(四) 職員室の机の位置
職員室内における原告の机の位置も、校長から最も遠い位置で、しかも原告の席の前の机には機械が置いてあり、他の教員との対話さえままならぬ位置であった。
(五) 免許外の専科
原告は中学・高校の社会の免許を持っているか、本件担任外しに伴って原告が担当させられたのは専門外の書写と図工であった。
(六) 二年連続の担任外し
原告は昭和五七年度に続き昭和五八年度も、希望に反し、何ら納得のゆく説明もないまま、一方的に学級担任を外された。
5 本件担任外しの違法性
(一) 本件担任外しは、校長による校内人事として行われたものであるところ、学校教育法(以下「学教法」という。)二八条三項、同条六項の解釈として校長が校内人事権を有するとの見解自体に誤りがある。校内人事権の所在は、憲法上の権利である子供の学習権、教師の教育権と深い関わりを持つ問題であること(教育権については後述)、教育基本法(以下「教基法」という。)一〇条一項が教育に対する「不当な支配」の禁止を明確に規定していることに照らすと、校内人事の決定は教師集団によって自治的になされるべきものであり、学教法二八条三項に基づく校長の校務掌理権限から校内人事権は除かれると解すべきである。
そうだとすれば、本件担任外しは、乙川校長が本来その権限に属しない事項について行ったことになり、そのこと自体既に違法である。
(二) 仮に、校内人事の決定が校長の校務掌理権限に含まれるとしても、本件担任外しは、正当に保護されるべき原告の教育活動を阻害する意図をもってなされたものであるから、右権限の著しい濫用であり、教育への「不当な支配」ないし教育権の侵害として違法性を帯びるというべきである。
以下(三)(四)において、本件担任外しが原告の教育権を侵害するものであることについて述べる。
(三) 教師の教育権
教師が教育活動の内容を自主的に決定する権能、即ち教育権は憲法及び教基法によって保障される権利である。
(1) 教師の教育権は、子供の教育を受ける権利の保障(憲法二六条)の一環をなす。教育を受ける権利の保障は、反面として教育する立場にある者に責務を課するものであるが、今日、教育の多くの部分は学校教育を通じてなされるから、右責務は主として教師に課せられる。そして、教師が右責務を果たすために、教師には教育権が保障されなければならない。なぜなら、文化の再生産としての教育は、本質的に個々の人間の自由な精神活動にかかっており、教育活動の自由が保障されるのでなければ、次代を担う子供たちに対し、実質的に教育を受ける権利を保障したことにならないからである。
なお、子供の教育を受ける権利は、憲法一三条の幸福追求の権利にも連なるものである。
(2) 教師の教育の自由は、憲法二三条の学問の自由からも導かれる。憲法の保障する学問の自由は、単に学問研究の自由ばかりでなく、その結果を教授する自由をも含むものである。
(3) 教基法一条は「教育は、人格の完成をめざし、・・・自主的精神に満ちた心身共に健康な国民の育成を期して行われなければならない。」と規定しているが、そこには教育条理としての教育権の思想が内在している。
(4) 教基法一〇条は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである、教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」と規定して、教育の自主性、自律性を保障し、教育行政の教育内容への関与の否定を制度的に保障している。そして、右にいう「不当な支配」の主体には、教育行政のみならず、政治的・社会的勢力一般としての政党や宗派、その他一部父母や学校管理者も含まれると解すべきである。
(四) 教育権の侵害
教師の教育権は、具体的内容として教科書使用裁量権、授業内容編成権、教育評価権、生活指導権などを含むが、本件担任外しによって原告はこれらの権利を侵害された。
(1) 教科書使用裁量権の侵害
乙川校長は本件担任外しの理由の一つとして、原告が教科書通りの授業をしないことに対して父母からの批判があることを挙げている。
しかし、教師に求められているのは教科書どおりの授業ではなく、子供たちの知的興味を呼び起こし、知的好奇心を満たすところの創造的授業である。教科書は、教科教育を絶対的に拘束するものではなく、「教科の主たる教材」に留まるものであり、もし教師が授業内容編成において「主たる教材」を決めない方法をその教育専門的計画として採用した場合には、検定教科書を使用しないことの自由が認められるべきである。教科書に絶対的な価値を認めることは、戦前の国定教科書の例にみられるような危険を包含している。原告は前記3で述べたような教育的判断に基づき算数の授業においてプリント中心の授業を行ってきたものであり、これを阻止する意図でなされた本件担任外しは、教育権の一内容としての教科書使用裁量権を侵害するものであり、教基法一〇条一項の禁ずる「不当な支配」に該当する。
(2) 授業内容編成権の侵害
授業内容編成権とは、教師が自主性・主体性をもって、児童生徒に最も適した授業計画を作成し、授業の進め方を初めとする教育方法を決定することのできる権能である。これが教育権の内容として認められるべきことは教科書使用裁量権と同様である。
被告らは本訴に至って、原告が学級担任として教科指導において計画的又は適切な指導を欠いたとして非難する。原告はそれらの事実を争うものであるか、仮に被告らの主張するような父母の意見があったとしたら、校長としては原告に対し事実の確認をした上で自ら適切と考える助言指導を行うべきものであり、それをしないでおきながら、突然担任外しという形の対応をすることは教師の教育活動を無視するものであり、教育権の一内容としての授業内容編成権を侵害するものである。また、それは教基法一〇条一項の禁ずる「不当な支配」にも該当する。
(3) 教育評価権の侵害
教育評価は、児童生徒と直接の触れ合いを持つ担当教師以外にこれをなしうる者はなく、それをなす権限は学教法二八条六項にいう「教育をつかさどる」権限として教師に属する。そしてそれは児童生徒に対する具体的かつ専門的な教育評価にかかわるものであるから、その具体的基準の設定・判断などは教師の教育的裁量に委ねられているといわなければならない。
原告は教育評価につき前記3で述べたような実践を行ってきたものであり、時に乙川校長の考える基準・方法による教育評価を批判し、その意見に従うことを拒否したこともあるところ、このことが本件担任外しの理由の一つになっていると考えられる。しかしそれは原告の教育評価権に対する不当な干渉であって教基法一〇条一項の禁ずる「不当な支配」に該当する。
(4) 生活指導権の侵害
生活指導の目的は、子供たち一人一人が集団生活に適応し、学校生活を楽しく送れるようにすることであり、右の目的を達成するために、教師は子供たちを人間として理解し、その内面に立ち入って助言指導しなければならない。生活指導のこのような特性に照らし、それは教師の教育専門的自律性に委ねられるべきものである。
原告は個々の児童に適合した生活指導を行うため、日記や作文等の指導を通じて一人一人をよく知るように努力し、自主的活動を育成するよう努め、学級通信等を通じて父母に伝える努力もしてきた。
しかるに、被告らは本訴に至って原告に対し「学級担任としての資質を疑わせる。」との非難を行っている。原告は本件担任外しを通告されたときにも、そのような理由は告げられていないし、被告らが挙げる事実の存在自体を争うものであるが、そもそもそれらを担任外しの理由とすること自体疑問であるし、仮に事実があったというなら、乙川校長は原告に対しその点に関し指導助言を行うべきであったのに、当時そのような指導助言はなかった。そのことの不当性は授業内容編成権の項で述べたところと同様である。
いずれにしても、本件担任外しは、原告の生活指導権を違法に侵害するものであり、教基法一〇条一項の禁ずる「不当な支配」に該当する。
(5) 教師の教育権と父母の教育要求
教師は父母から寄せられるさまざまな教育要求に対し、教育専門的に判断してその採否を決め、その理由をしかるべく説明する義務を負うが、授業内容、教材の選定、教育評価などの教育専門的事項の決定は教師の専門的教育権に属すると解すべきであり、これに父母が決定的に介入することは越権である。教師は本来教師の専門職上の責任である問題について、父母による不公正又は不当な干渉から保護されなければならない。
乙川校長は、本件担任外しの理由として父母からの批判を挙げるが、これは父母の教育要求に名を借りて、原告の教育権を違法に侵害するものであり、教基法一〇条一項の禁ずる「不当な支配」に該当する。
(五) また、本件担任外しは、前記のとおり原告が独自の授業を行い、乙川校長の考えるような教育評価を行わず、職員会議等で同校長の学校運営に対し異議申立てを行い、教育労働者として活発な活動を行ったことを嫌忌して行われたものであって、教員の身分保障に関する地方公務員法二七条一項、同条二項、教基法六条二項、ILO・ユネスコ「教員の地位に関する勧告」に違反し、教員の身分保障という法益を侵害するものである。
加えて、乙川校長は、昭和五七年度の校務分掌決定に当たり、全教員から学校組織希望調査用紙の提出をうけたにとどまり、個別の面接は行わなかった。同校長は、直接原告の意思を聞くことなく本件担任外しを行い、かつ、事後にもその理由を説明せず、原告に弁明の機会を与えなかったものであり、本件担任外しは手続的にも違法なものである。
6 以上の権利侵害ないし違法な利益侵害によって、原告は、筆舌に尽くしがたい精神的苦痛を被ったものであり、右苦痛を金銭に見積もれば金一〇〇万円を下回ることはない。
7 右損害は、被告春日井市の公務員であり同市教育委員会の監督を受ける乙川校長がその職務を行うについて原告に加えたものであり、また、市町村立学校職員給与負担法一条によれば、同校長の給与等の負担者は被告愛知県である。
8 よって、原告は、被告春日井市に対しては国家賠償法一条により、被告愛知県に対しては同法三条により、各自金一〇〇万円及びこれに対する不法行為後(訴状送達の日の翌日)である昭和五七年七月一三日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求の原因に対する認否
1 請求の原因1の事実は認める。
2 同2の事実中第一段、二段の部分は概ね認める。ただし、乙川校長は、昭和五七年四月一日午前八時二五分ころ、原告に対し、「昨年度を顧みて、諸般の状況に照らし合わせ、いろいろ考慮した結果のことだが、あなたには三年と五年の図工と六年の書写と特活を担当していただきたい。」と告げたものである。
3(一) 同3(一)のうち、原告が昭和四八年度にS小学校四年三組を担任したこと、水道方式と呼ばれる指導方法が存在すること、原告がプリントを作成して授業を行ったことがあることは認め、その余の事実はしらない。
(二) 同(二)のうち、原告がS小学校内に設置された評価検討委員会に委員の一人として参加したこと、昭和五五年度に指導要録の改訂により通知表の学習状況欄の評価方法が個人内評価方法から到達度評価方法に変更されたことは認め、その余の事実は知らない。なお、昭和五一年四月に、評価検討委員会からS小学校校長に対し、現成績評価につき改定の必要はないとの回答がなされている。
(三) 同(三)のうち、原告が昭和五六年四月にK小学校に赴任し、三年一組を担任したことは認め、その余の事実は知らない。
(四) 同(四)(1)ないし(3)の事実は、(1)の事実及び(2)のうち、「学習状況」欄が三段階到達度評価であったこと、一学期に原告から深津教務主任に提出された成績一覧表の記載に疑問があったため、乙川校長が再検討するよう指導したことは認め、その余の事実はすべて否認する。
(五) 同(五)柱書の事実は知らない。
(1) 同(五)(1)のうち、K小学校では年休届出用紙に理由を記載するようになっていたこと、その後理由欄が削除されたことは認め、その余の事実は知らない。なお、年休届の理由欄削除は乙川校長自らの判断で行ったものである。
(2) 同(五)(2)のうち、原告が昭和五六年七月に自宅研修を取得したことは否認し、その余の事実は知らない。原告から研修の申出があったのは同年九月八日であり、乙川校長は、その日が短縮授業で授業等に支障がないことを確認のうえ、同日午後の自宅研修を承認した。
(3) 同(五)(3)の事実は否認する。原告が「公費の経理を公開すべきだ。」と述べたのは昭和五六年六月二五日の職員会議においてであり、乙川校長は、その必要はない旨回答している。
(4) 同(五)(4)のうち、原告が愛知県人事委員会に対し措置要求をなしたことは認め、その余の事実は否認する。なお、右措置要求は昭和五七年三月一五日に却下されている。
4 同4の事実中、従前学級担任を受け持たなかった教務主任、校務主任が学級を担任したこと、原告の担当授業時数が前年度に比して減少したことは認める。
同4のその余の主張は争う。学級担任を受け持たなくなったからといって、原告から教員としての主たる職務であり、最も重要な職務である授業の機会がすべて奪われるわけではなく、授業時数が減少してことについては、担当する教科、学年、学級数により担当授業時数が異なるのは当然のことである。
5 同5の主張はいずれも争う。
6 同6の主張は争う。
教基法一〇条一項、六条二項は、教員個人に対し私的権利としての教育権を保障するものではなく、私権としての教育権を観念する余地はない。したがって、原告には何らの不利益も生じていない。
7 同7のうち、乙川校長が被告春日井市の公務員であり、同市教育委員会の監督を受けること、同校長の給与負担者が被告愛知県であることは認め、その余の主張は争う
三 本件措置の適法性に関する被告の主張(請求の原因5に対し)
小学校校長は、学教法二八条三項に基づき、校務をつかさどり、所属職員に対し一般的な指導監督権を有しており、春日井市立学校管理規則一六条一項によれば、校務分掌に関する組織を定め、所属職員に分掌を命じ、校務を処理する権限を有するものであるが、学級担任を決定するのも、右権限の一部である。校務分掌は、学校運営について、配置された職員によって、教育活動の目的達成に向けて校務を能率的効果的円滑に実施するため、個々の職員の能力、適性、特性、組織体における他職員との協働性、協調性等の複合的な要素を総合的に調整、考慮して校長が判断し、決定するものであって、校長の高度な専門的、行政的判断が必要とされる。したがって、かかる校長の判断は、客観的な事実誤認などその裁量権の行使に顕著な過誤が認められない限り、違法の問題を生じることはないと解すべきである。
乙川校長が、昭和五七年度の校務分掌決定に当たり、本件措置を採るにつき考慮した事情は以下のとおりである。
1 学級経営案及び学習指導週案の作成提出の拒否
(一) 学級経営案とは、学校全体の教育成果を高めるため、学級担任が学級の児童に対し、年間を通じて意識的、計画的に学習指導を推進するために作成する指導計画であり、学習指導週案(以下「週案」という。)とは、学級担任が学級経営案に従って一週間ごとの教育指導を意識的、計画的に進めていくために作られる指導計画であり、校長が、全ての児童に一定水準の教育内容が保障されるよう教員に対して行う指導助言に資するものである。
(二) 乙川校長は、昭和五六年度当初の職員会議において、深津教務主任を介して各学級担任に対し、学級経営案の作成とその提出を命じたにもかかわらず、原告のみがこれを提出しなかった。乙川校長は、その後再三にわたり、原告に対して学級経営案の作成提出を命じたが、原告はこれを拒否し、年度末に至るまで提出しなかった。また、乙川校長は、同年四月七日朝の職員打合せの席で、深津教務主任を介して、各学級担任に対し、週案を作成し、毎週月曜日の朝教務主任を通じて校長に提出するよう命じ、その後再三にわたり、原告に対してその作成提出を命じたにもかかわらず、原告はこれを拒否し続け、年度末に至まで一度も提出しなかった。
2 教科指導上の問題
原告の教科指導に関して、父兄懇談会の席で保護者から、教科書を使用せずプリントにより行う原告の授業に対する不安、作文をもち帰らせないことに対する不満など幾多の苦情が出された。さらに、乙川校長が確認しうる外形的事実に照らしてみても、原告は算数以外の教科を作文、読書やドッジボールに置き換えることが多く、指定された教科時間数の配分を無視しており、学級担任として、教科指導において計画的または適切な指導を欠いていたものと考えざるをえない状況にあった。
3 生活指導上の問題
原告は、学級担任として学級児童の生活指導を行うべき立場にあったが、学級の清掃及び給食準備や後片付けの指導並びに学校行事の際の服装及び安全の指導をほとんど行わなかったものであり、学級担任としの資質を疑わせるものがあった。
4 職務上の協働性、協調性の欠如
(一) 昭和五六年度当初の教員間の申合せで、あらかじめ年休の届出が予定される場合には、教務主任に授業計画書を提出し、教務主任が当該学級の授業の配慮をすることになっていたにもかかわらず、原告は直前になって年休届出をすることが多く、授業計画書を提出しないため、原告の学級については、適切な代替授業を組むことが困難であった。
(二) 原告は、昭和五六年度の校務分掌として清掃主任を担当していたが、その職務を行おうとせず、同年五月一八日に教務主任から大掃除の計画を提出するように指示されたにもかかわらず、その作成を拒否した。また、同一学年内で統一して実施すべく申合せがなされていた運動会の演技指導や教科テストについて、他の学級担任と協働して実施に努めようとはしなかった。
(三) 以上のような原告の独善的で協調性を欠く行為のため、原告は同僚教員の信頼を失っており、昭和五七年三月に実施された学校組織希望調査によれば、転出者六名を除く原告以外の教員一五名のうち一四名が、原告と同学年の学級担任は避けてほしい旨希望していた。
5 学級児童の保護者の信頼喪失
原告の教育指導のあり方に関しては、PTA会長を通じ、あるいは父兄懇談会の席で直接に、学級児童の保護者から幾多の不満が表明されていた。昭和五七年一月一四日及び同年三月四日には、PTA会長から乙川校長に対し、原告担任学級の保護者から、来年度も原告が担任になるのなら、転校させたいといった苦情が出ているので配慮してほしい旨の要望がなされていたものであり、原告は学級児童の保護者から信頼を失っていた。
四 被告の主張に対する認否
1 1(一)は争い、同(二)のうち、原告が昭和五六年度に学級経営案及び週案を一度も提出していないことは認め、その余は否認する。
各教科とも教育課程に指導の日時、指導時数、指導方法まで詳細に記載されているので、週案には教育課程を簡略化して記載しているのが実情であり、また、原告は、各教科の授業時数については各学期ごとに乙川校長に報告しているから、学級経営案及び週案を提出する必要性はない。
2 同2のうち、保護者から父兄懇談会の席で、教科書を使用せず、プリントにより行う原告の授業に対する不安や作文をもち帰らせないことに対する不満が出されたことは認め、算数以外の教科を作文、読書やドッジボールに置き換えることが多かったことは否認する。
原告は、保護者に対し、水道方式や原告の作文指導についての考え方を十分に説明している。
3 同3は否認する。
4 同4のうち、(一)の原告が年休取得の際、二、三回しか授業計画書を提出しなかったこと、(二)の原告が昭和五六年度の校務分掌として、清掃主任を担当していたことは認め、その余は否認する。
授業計画書は形式的なもので、原告以外の教員も、授業計画書を提出せず教務主任に口頭で必要事項を伝達するのが通例であったし、原告は年休取得の際、黒板に児童への指示を記載し、プリント等を用意し、同学年の教員に指導を依頼していたから、授業計画書提出の必要性はなかった。
学級組織希望調査は、本件措置を正当化するため、教員相互間で相談のうえ、意図的に記入提出されたものであり、信用性に欠ける。
5 同5のうち、原告が学級児童の保護者から信頼を失っていたことは否認し、その余は知らない。
第三 証拠<省略>
理由
一請求の原因1の事実は当事者間に争いがない。
請求の原因2の事実中、乙川校長が昭和五七年四月一日ころK小学校における同年度の校内人事を決定したこと、右校内人事において原告は学級担任がなく、担当教科は原告の専門外の書写と図工であり、担当時数も前年度に比べて減少したこと、原告は同日乙川校長から右校内人事の内容のうち同年度原告は学級担任がないこと及び書写と図工の担当になる旨を通告されたことは当事者間に争いがない。
<証拠>によれば、原告の担当時数は、前年度二六であったのに対し昭和五七年度は一九になったこと、原告は学級担任がないだけでなく学年への所属もないこと、その結果同じ学年の学級担任者の連絡会(学年会)に出席する機会がなく、学年行事に参加することが困難になったことを認めることができる。
原告はその他に、職員会議に十分参加できない、職員室内の机の配置から他の教員との対話もままならない旨を主張するが、右事実を認めるに足りる証拠はない。原告はまた、担当時数の減少を捉えて一部休職に近い取扱いと評するが、右の捉え方は必ずしも当を得たものとはいえない。
なお、以下においては、乙川校長が決定したK小学校における昭和五七年度校内人事のうち原告に関する部分を右に認定した内容のものとして「本件担任外し」または「本件措置」と呼ぶ。
二原告は、本件担任外しが違法である理由の一つとして、学校教育法二八条三項の校長の校務掌理権限には校務分掌決定権すなわち校内人事権は含まれず、校内人事の決定は教員集団によって自治的になされるべき旨を主張し、その根拠として教師の教育権は憲法上の権利であること及び教育基本法一〇条一頃を挙げる
しかしながら、まず、普通教育においては児童生徒に教育内容を批判する能力がないこと、教員が児童生徒に対して強い影響力、支配力を有すること、児童生徒の側に学校や教員を選択する余地に乏しいこと、教育の機会均等を図るため教育の全国的な一定水準を確保する必要があることに鑑み、憲法二三条が大学におけると同じ意味での教授(教育)の自由を普通教育機関の教員に認めていると解することはできない。また大学における学問研究、教授の自由を具体的に保障するものがいわゆる大学の自治であるから、教授の自由の認められない普通教育機関においては、法律に特段の定めがない限り学校自治は認められず、教職員会議に教授会と同一の権限を認めることはできないと解すべきところ、学教法には、学級担任を含む校内人事の決定権を教職員会議に付与する旨の規定はなく、かえって同法二八条三項に「校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する。」との規定があるのみである。
また、憲法上教員の教育権限の独立を認める規定はなく、たしかに国民に教育を受ける権利を保障した憲法二六条の背後には、国民各自が学習をする固有の権利を有するとの観念、特に自ら学習できない子供はその学習欲求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有するとの観念が存在していると考えられ、子供の教育は教育を施す者の支配的権能ではなく、子供の学習をする権利に対応し、その充足を図りうる立場にある者の責務に属するものとしてとらえることができるのであるが、右の規定、さらには、教育は不当な支配に服することなく国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきことを定める教基法一〇条一項から、当然に教員又は教員集団の教育内容を自由に決定しうる権限が導き出されるとはいえない。
なお、学教法二八条六項は、教諭は自己の担任事項として児童の教育を執り行うことを定めているにすぎず、右規定から教諭の教育権限の独立を導くこともできない。
したがって、校内人事の決定が教員集団によって自治的になされるべき法的根拠はなく、学級担任の決定も校務分掌の決定の一つとして、学教法二八条三項により校長の職務権限に属するものと解するのが相当であり、右の点に関する原告の主張は採用することができない。
三原告は、仮に校内人事権が校長の校務掌理権限に含まれるとしても、本件担任外しは右権限を濫用するものである旨主張し、更に、本件担任外しは原告の教育権を侵害するものである旨、あるいはそれが教基法一〇条一項の禁ずる教育への「不当な支配」に当たる旨を主張する。
教基法一〇条一項が教育への「不当な支配」の排除を宣言していることは原告主張のとおりであるから、その反面としての教員の教育権を観念することもできなくはないが、そのことは教育権が教員の個人的権利として承認されることを意味しないから、そこでいう教育権がそれ自体として国家賠償法における被侵害利益となるものではなく、その侵害は一種の公序違反として違法性判断の一要素となるものと解される。
したがって、校務掌理権限の濫用、教育権の侵害あるいは教育への不当な支配といっても、いずれも国家賠償法一条における違法性の問題を角度を変えて論ずるものということができる。
以下、この観点から検討する。
<証拠>に基づいて認定する事実、認定し得ない点、証拠を採用しない理由は以下のとおりである。
(一) 原告は、昭和五六年四月一日K小学校に赴任し、同年度は三年一組を担任した(右事実るついては当事者間に争いがない)。深津教務主任は乙川校長の命により、全学級担任に対し、同年四月初旬の職員会議において、学級経営案を提出するよう指示し、同月七日朝の職員打合せ会において、毎週月曜日の朝に教務主任を介して乙川校長に週案を提出するよう指示したが、原告は、法的根拠がない、教育内容の検閲につながるとして、昭和五六年度の学級経営案を提出せず、週案についても同年度中に一度も提出しなかった(原告が学級経営案及び週案を提出しなかったことについては、当事者間に争いがない)。また、K小学校においては、教員が年休を取得する際、週案のほか授業計画書を教務主任に提出し、右計画書に基づき、手の空いている教員が補欠の授業を行う取り決めであったが、原告が右計画書を提出したのは、最初の二、三回だけであった(原告が授業計画書を二、三回しか提出しなかったことについては、当事者間に争いがない)。
(二) 原告は、S小学校在勤中から、愛知県内で広く採用されている啓林館発行にかかる算数の教科書につき、暗算中心の編集方針が児童の理解を妨げているのではないかとの疑問を抱き、水道方式と呼ばれる筆算中心の計算指導体系に基づき、プリントを作成して授業を行い、教科書は練習問題としてのみ使用していたが、K小学校においても算数の授業は同様の指導方針で臨むこととし、昭和五六年四月一七日の第一回学級父母懇談会において、算数はプリント中心に授業を進めること、国語は作文と読書に力を入れることを伝え、その後も保護者宛に「どろんこ」と題する学級通信を随時発行し、算数の授業内容や児童の作文等を掲載した。
なお、被告は、原告は算数以外の教科を作文、読書やドッジボールに置き換えることが多く、指定された教科時間数を無視していた旨主張し、乙川校長及び昭和五六年度に三年二組の学級担任であった安藤昇教諭は右主張に沿う証言をするが、乙川校長の他の証言部分によれば、同人は、原告の体育の授業はドッジボールが非常に多かったとみていたが、三年の体育はドッジボールばかりではないので、他の教科も同じようにやっているのかと憶測したというにすぎず、また、安藤教諭の他の証言部分によれば、同人の証言も、原告の年休取得時に原告の学級に入ったときの見聞ないしは児童や保護者の話からの印象に基づくものにすぎず、いずれも根拠薄弱であり、これを否定する原告本人尋問の結果に照らし、採用することができない。
原告は児童に対する細かい生活指導にはそれほど熱心でなく、原告の学級の児童は、学内清掃活動を十分に行わずに、他の教員から指導を受けたことがあり、また、白衣を着ないで給食の準備をしたり、裸体で給食を取るようなことがあった。
(三) 昭和五六年七月一三日、原告が深津教務主任に、三年一組の児童の成績一覧表(校長の承認を得たのち、右一覧表に基づき各児童の通知表の記載がなされる取扱いである)を手渡したところ、同人から、算数の学習状況欄(三段階到達度評価)のうち知識・理解欄にプラスの評価が多すぎるとの指摘がなされ、翌一四日、乙川校長の再検討するようにとの指示で、右一覧表は深津教務主任から原告に返還された(右事実については当事者間に争いがない)。同月一七日、教頭及び教務校務両主任同席のもと、原告と乙川校長との間で右成績一覧表に関して話し合いがなされたが、三年の他の学級に比べて原告の学級はプラスが多すぎる、同じ授業をしていてそれほど差がつくのはおかしいという乙川校長と、単元を入れ替え、時間をかけて指導すればプラスの到達度基準である八五点に達するという原告の主張が平行線をたどり、原告が、校長の認印が得られなくても通知表を作成し、事情を記載した書面とともに保護者に渡すと言い出したことから、乙川校長は同日の話合いを打ち切り、翌一八日、右成績評価に関して緊急職員会議を招集した。緊急職員会議において、他の教員からは、昨年度の職員会議で、教え直して到達度基準に達した場合には空白にしておく取決めがなされている等の発言があり、原告の主張は賛同を得られなかったが、最終的には、乙川校長から原告の成績一覧表を承認するとの発言があり、原告の成績評価に関する問題は収束した。なお、右緊急職員会議の場で、ある教員から、原告の学級は通知表の付け方が違うから、来年度原告の学級を受け持ちたくないとの発言がなされた。また、原告は、一七日の乙川校長との話合いの席に録音機をかばんに入れて持参し、同校長らの同意を得ることなく話合いの内容を録音していたが、同月二〇日に右録音の件が発覚し、他の教員の非難を受けたため、原告は右録音テープを深津教務主任に渡して消去してもらったことがあった。
(四) 昭和五六年六月一〇日、平末という児童(原告の学級の児童ではない)の保護者から、三田村昇PTA会長(以下「三田村会長」という。)に、「三年一組の先生が教科書を使わないので父兄が困っている。何とかしてほしい。」との要望があり、三田村会長は、まず同月一二日に右要望を乙川校長に伝え、さらに、同月一七日に臨時PTA役員会を開き、副会長らと三年一組の件につき協議したうえ、教科書の問題のみならずしつけの面でも指導がなされていないとして、右同日、三田村会長及び落合鎭之、太田セツ、福井美恵子の三副会長が乙川校長に対して、早急に学校としての指導をしてもらうようにとの申入れを再度した。同年八月二三日、K小学区内のかすが台地域の保護者と学校との間の地域懇談会が開かれ、学校側からは乙川校長と三年の学年主任であった矢澤あさ世が出席し、八五名の保護者が参加したが、右懇談会の後半は、集中的に原告に関する質問か出され、社会のノートを使わない、夏休みの日誌を一部やらなくてもいいと言っている、暗算をやらなくてもいいのか、プリントでやっているのはどうか、作文が返してもらえないし文法上の間違いがあっても直してもらえないなどの質問ないし要望が出された。同年九月初旬、乙川校長は原告に対し、右地域懇談会での要望事項を伝えたが、原告は、啓林館の教科書は駄目で暗算は必要ないと答えるのみであり、他のことも聞き入れようとしなかった。右の点につき、原告は本人尋問において、同年九月には乙川校長から何も聞いていない旨供述するが、PTA役員を介して既に六月から原告の教科指導生活指導に関する苦情申入れがなされていたことに鑑み、原告の右供述は採用し難い。
(五) 昭和五六年一〇月二二日の第二回学級父母懇談会において、白尾、明石の保護者から、「教科書を使わなくて四年生にいって大丈夫か」「どうして作文をもち帰らせないのか」などの質問がなされたか、原告は、三年生が終わるまでには教科書の内容は全部教える、作文については、始めに形式的なことを注意しすぎると児童が本当に書きたいことを書けなくなるので、ある程度原告の方で指導して児童が自分の思っていることを書けるようになるまで、作文を家にもち帰らせることは差し控えたいと答えた。昭和五七年一月一三日、右白尾の保護者から三田村会長に、来年度も原告が学級担任になるなら、子供を転校させるとの申入れがあり、翌一四日、三田村会長から乙川校長に、保護者の中には転校させるとの強い意見もあることが伝えられた。同年三月四日、三田村会長から乙川校長に対して、原告の担任及び指導方法につき改めて善処方要望がなされ、同月二五日ころには、原告の学級の児童四〇人のうち右白尾及び明石を含む五人の児童の保護者計七人から、乙川校長宛に、四年生の担任は原告を外してほしい旨のお願い書が提出された。右お願い書には、三年一組だけが他の学級と違う指導を受けているのではないかという保護者の強い不安感が表明されている。
(六) 昭和五七年二月初旬の職員会議において、深津教務主任から、学外の業者が作成した学力テストを行い、児童への学力定着の程度を調査したいとの提案がなされ、同月中旬、国語と算数につき株式会社日本図書文化社の学力テストが実施された。原告の学級の児童は、算数の成績が三年の他の学級に比して、若干劣っていたが、これは、原告が教科書の単元を入れ替えて授業をしていたため、まだ教えていないところが出題されたことも原因していた。同月末ころ、乙川校長は原告に、どのように授業を進めてきたのか説明するよう求め、口頭で説明しようとする原告に対し、ともかく週案を提出するよう強く命じた。これに対して、原告はその後も週案の提出をせず、同年三月に「三年生のまとめ」と題する算数のテストを作成して自己の学級で実施し、同月二三日、右テストプリント及び児童の成績一覧表を乙川校長に手渡している。右事実について、乙川校長はテストプリント等は受け取っていない旨証言するが<証拠>に鑑み、採用することができない。
なお、原告は、右学力テストにつき、K小学校では昭和五四年度及び五五年度には学力テストは実施されておらず、昭和五七年二月に至って突如実施されたものであり、乙川校長が原告を担任から外すために証拠を収集しようとしたものである旨主張するが、先に認定したとおり、原告に教科指導については、保護者から頻繁に善処方申入れがなされているうえ、原告は週案を提出しないため、乙川校長には原告がいかなる授業を行っているのかわからなかったのであるから、原告の学級の児童の客観的な学力を検査するために学力テストを実施する必要性合理性は認められ、乙川校長に右必要性を超えて原告を担任から外すための証拠を収集する意図があったとまで認めるに足りる証拠はない。
(七) 昭和五七年三月二〇日ころ、江崎延二教頭から各教員に昭和五七年度学校組織希望調査と題する書面(以下「調査書」という。)が配布され、そのころ記入提出された。調査書の書式は深津教務主任が作成したものであり、B五版の用紙に、氏名、希望担当学年、要望事項、教科部会の希望研究教科、教務校務関係の運営機構担当希望等を記入するようになっていた。<証拠>によれば、転任者、退職者及び原告を除く一五人の教員のうち、一四人が、原告と同じ学年の学級担任及び四年一組(昭和五六年度に原告が担任していた学級)の担任はしたくない旨の記載をしている。もっとも、原告は、調査書の中には、筆記用具及び記入の体裁からみて、二回にわたって記載がなされたものがあるのではないかと主張し、その該当箇所として<証拠>(樋口和男作成)の「担任が持ちたい」と「甲野先生と同学年はやりたくない」の部分、<証拠>(石原美智子作成)の「4の1以外の学年・クラス。指導方法が違うためやりにくいと思うから」と「同学年も話し合えないと思うからたいへんやりにくく困る。」の部分、<証拠>(後藤恵美子作成)の「4年1組は、自信ありません」と「甲野先生と同学年はやりたくありません」の部分、<証拠>(稲垣智弘作成)の「ぜひ担任を持たせてください。」と「甲野先生とはなるべくいっしょでない方がよいです。」の部分を挙げる。また、原告は本人尋問において、平成元年六月ころ右後藤恵美子に会った際、同人は「二度にわたって書いたかもしれない、深津教務主任から原告と一緒にやりたくないと書いておかないと来年度一緒になるかもしれないよと何回か言われた」と述べていた旨供述する。しかしながら、仮に右事実が認められるとしても、右石原及び後藤については、少なくとも四年一組を担任することについては、当初から不安を示していたのであり、また、本件措置後に原告の要請により春日井市教員組合K小学校分会の緊急職場集会が開かれ、本件措置に関して、同組合人事対策委員会への申立てが議題になったにもかかわらず、申立てをすべきだという教員が一人もいなかったことをも考慮すれば、調査書に自己の意に沿わないことを無理に書かされた者があるとまでは認められない。
(八) 昭和五七年四月一日午前九時二五分ころ、校長室において、乙川校長は原告に対し本件措置を告知し、その理由として、学級経営案、週案を提出しないこと、原告には担任を持って欲しくないという父母の声があること、他の教員が原告と一緒にやりたくないと言っていること挙げた。本件措置前に、原告は乙川校長に前記調査書を提出し、希望担当学年二年、一年、五年と記載して学級担任を持つことを希望していた。右調査書の提出以外に、乙川校長が原告に面接し、直接その希望を聞き、指導助言することは行われていなかった。
(九) 昭和五七年度には、深津教務主任が六年の、樋口和男校務主任が五年の学級を担任したが、教務主任や校務主任が学級担任を受け持つことは、春日井市立小学校ではかなり異例のことであった。
原告は、昭和五八年度も学級担任を受け持たず、教科は理科を担当し、昭和五九年四月に春日井市立B中学校教諭に補され、同校に転任した。
2 先に判示したとおり、学級担任の決定は学教法二八条三項に規定する校長の校務掌理権限に属するところ、校務分掌の決定は、平素から学校内の事情に通暁し、所属職員を監督する校長の裁量に任されているものというべきであり、学校運営について、配慮された職員によって、教育活動の目的達成に向けて校務を能率的効果的に実施するため、個々の職員の能力、適性、特性、組織体における他職員との協働性、協調性等の複合的要素を総合的に調整考慮して、校長が裁量的判断によって決定することができるものと解すべきである。したがって、裁判所が校務分掌に関する校長の措置の適否を審査するに当たっては、校長と同一の立場に立って校務分掌を命じるべきであったか又はいかなる校務の分掌を命じるべきであったかについて判断し、その結果と校長の措置とを比較してその軽重を論ずべきものではなく、校長の裁量権の行使に基づく措置が社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を逸脱しこれを濫用したと認められる場合に限り、違法であると判断すべきものである。以下、右の見地から、前記認定事実の下において、本件措置が乙川校長の裁量権の範囲を逸脱したものというべきかについて検討する。
<証拠>によれば、学級経営案とは、学校全体の教育成果を高めるため、学級担任が学級の児童に対し、年間を通じて意識的、計画的に学習指導を推進するために作成する指導計画であり、週案とは、学級担任が学級経営案に従って一週間ごとの教育指導を意識的、計画的に進めていくために作られる指導計画であり、校長が、すべての児童に一定水準の教育内容が保障されるよう、各学級の学習進捗度、指導状況、指導時数を把握し、必要に応じて教員に対する指導助言を行うのに役立つものであることが認められ、それ自体違法又は不合理なものとはいえず、校長が職務命令として、その提出を求めることもできると解すべきである。原告については、K小学校赴任後二、三か月したころから、かなり頻繁にPTA会長を通じて間接的に、さらには地域懇談会の席で直接に、児童の保護者らから校長に対して、その教科指導に関して苦情の申立てがなされており、このことを校長から伝達されても原告には校長の指導を聞き入れようとする姿勢がなく、客観的に学力を検査するため施行した業者テストによれば、原告担任学級の児童は算数の成績が劣っていたという事情が存したのであるから、乙川校長が原告に週案の提出を求める必要性は高く、昭和五七年二月末に、職務命令としてその提出を命じたことをもって教育に対する不当な支配に当たるとみるべき事情は認められない。したがって、原告は、地方公務員法三二条に基づき、乙川校長がなした右職務命令に忠実に従うべき義務を課せられているにもかかわらず、これに従わなかったものというべきである。原告が同年三月二三日に算数のテストプリント及び成績一覧表を乙川校長に手交したことは先に認定したとおりであるが、その時期及び内容に照らし、乙川校長の職務命令に従ったものとはいえない。
もっとも、原告の教科指導の方法にもそれなりの合理性があり、右職務命令が発せられる契機となった児童の保護者らの苦情のすべてが理由あるものであったとは考えられないが、現実問題として原告の指導方針は保護者の理解を得られず、むしろ独善と受け取られて強い不信感が醸成されており、担任する学級の児童の保護者からも、持ち上がりで学級を担任することは止めて欲しい旨のお願い書が提出され、同僚の教員の大半が原告と同学年の学級を担任することを忌避していたという事情が存在する以上、乙川校長が採った本件措置は、それが手続的に事前の予告なく、昭和五七年度が始まる四月一日に至って初めて告知されたことを考慮しても、社会観念上著しく妥当を欠くものとまではいい難く、その裁量権の範囲を逸脱したものと判断することはできない。また、そうである以上、本件措置をもって、教育に対する不当な支配とみることもできない。
四原告はまた、本件措置が原告の教育労働者としての身分保障を害する点で違法である旨主張する。<証拠>によれば、原告が赴任した当時、K小学校では年休届出用紙に理由を記載するようになっていたが(右事実については当事者間に争いがない)、原告は、春日井市教員組合K小学校分会職場集会において、乙川校長に右理由欄廃止の申入れをするよう主張したこと、愛知県校長会と愛知県教員組合との間で交わされた確認事項の一項目である「行事や短縮授業後はできるだけ自宅研修とする」に基づき、原告は乙川校長に申し出て短縮授業中に自宅研修を取得したこと、職員会議において、公費の経理公開をするよう意見を述べたこと、年休取得に対する不当な妨害があるとして、地方公務員方法四六条に基づき、昭和五七年三月二日愛知県人事委員会に対し乙川校長への指導等の措置を執るよう要求したこと(右事実については当事者間に争いがない)を認めることができる。しかしながら、前記のとおり、乙川校長は職務上の必要に基づいて本件措置を採ったものであり、同校長が右のような原告の教員組合員としての活動を嫌忌し、活動を抑圧する目的をもって本件措置を採ったことを認めるに足りる証拠はないから、原告の右主張も理由がない。
五結論
以上説示したところによれば、本件措置に原告主張の違法性を認めることはできず、本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官清水信之 裁判官遠山和光 裁判官後藤眞知子)